サステナブルな暮らしは難しい?現実の壁と乗り越える考え方

サステナブルな暮らしに憧れを持ちいろいろなことを気にしはじめると、思い通りに行かないことが出てきて、以前は感じなかった罪悪感を感じたり、苛立ってしまったり…

理想と現実の差に悲しくなってしまう…そんなこと、ありませんか?

サステナブルな暮らしって、現実には難しいの?

結論:サステナブルな暮らしは難しくない

「サステナブルな暮らし」は、非現実的なものでも、難しいものでもないと思います。

ただし、理想を追い求め過ぎなければ

サステナブルって、持続可能ということですよね。理想を追い求め過ぎて続けられなくなったら、その時点で持続可能ではありません。

なんでもそうですが、完璧な人はいません。ですから、自分ができる範囲で、続けていくこと。それが大事だと思います。

現実の日常の暮らしの壁

サステナブルな理想の生活が難しいと感じる理由はなんでしょうか。

それは、これまで世の中が安くて便利なものを追求してきて、多くの人がそれを消費し捨てる生活に慣れていること、そんな生活がサステナブルとは真逆の生活だからです。

そんな現実の生活の中で、サステナブルな生活を目指すうえでぶつかりがちな代表的「壁」を4つ挙げてみます。

価格面

サステナブルな暮らしのためにいい商品を使おうと思って見てみると、結構高い…ということはよくありますよね。

長く大事に使うことを考えるとトータルで考えて安いということもありますが、必ずしもそうではなく、そのほかにも日々食べるものや消耗品など、価格面がネックになることがあります。

そもそも今までの製品が安すぎたんだ、という考え方もあり、それもそうだと思いつつも、難しい問題です。

時間・手間

パッケージ入りのものを買わず手作りすれば、ゴミを大きく減らせる!と私自身もブログでいくつか紹介したことがあります。(おやつ、ドレッシングなど)

しかし、みんながみんな手間をかけて手作りする余裕があるわけではありませんよね。日々の仕事や家事、育児、介護などに追われていると、パッケージ入りの製品や冷凍食品、いろいろな専用便利グッズなどは、とても便利で助かります。

人付き合い

一人暮らしであれば、自分の生活は多くのことを自分で選択することができますが、誰かと一緒に生活している場合はそういうわけにもいきません。

一緒に住んでいる人が似た考えだったり理解を示してくれればある程度可能かもしれませんが、まったく同じ考えというのはなかなかないですから、お互いに歩み寄った妥協点というのが必要になると思います。

また、一人暮らしで普段の生活は自分の思い通りにできていても、外出先、例えば友人との食事や会社の飲み会、地域の行事など、自分の思うようにいかず人に合わせないといけない場面は必ず出てきます。

いろいろな側面

サステナブルと一言で言っても、様々な側面があります。

例えば何か商品を買おうと思ったとき、私が一番関心があるのはごみの問題なのですが、そのほかにも

  • 動物性の材料を使っていないか、動物実験を行っていないか
  • 輸送の際に発生するCO2
  • オーガニックか否か
  • 生産・流通過程で人権侵害や不平等がないか

など、商品によって考慮する項目はたくさんあり、全ての面で完璧!というものはなかなかないのが現実です。

そうなると、何を基準にどうやって選ぶのか、悩んでしまいますね。

完璧を求めすぎると、何も買えるものがない!ということになりかねません。

できるところだけでもいい

私のブログでは「できるところから」「少しずつ」という言葉がしばしば出てきます。

ストイックな方からは「自分に甘いやつか!」というツッコミが飛んでくるかもしれませんが、

私はこのスタンスで行こうと思っています。

ストイックになさっている方も素晴らしいと思いますが、
そうでないからといってダメということはないと思います。

ありふれた言葉ではありますが、一人一人の小さな一歩が大きな変化になると思います。

現代人として生きていく以上、完全に環境に負荷をかけない生活は不可能です。

極論を言ってしまえば人間がみんないなくなるのが環境にはいいですよね。

でもそういうことは現実的ではありません。

であれば、みんなが少しずつできる範囲でも自分の生活を見直して行動するということは、
少なくとも悪いことではないはずですよね。

一人の100%よりもみんなの1%ずつがもっと大きな力になると誰かの言葉がありましたが、
本当にその通りだと思います。

自分が無理なく続けられる範囲でサステナブルな生活を心掛け、その輪を周りに少しずつでも広げていければいいなと思います。

環境活動家への反発の声

以前、スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんに対する、インターネット上での反発の声を見たことがあります。

「そこまで言うからには自分は一切二酸化炭素を出さない完璧に環境に優しい生活を送っているんでしょうねぇ?」

とでも言うようなコメントが多くありました。

確かに彼女のスピーチはとても強く、攻撃的に感じるものではあったと思います。

彼女を批判している人は、自分が攻撃されたと感じたのでしょうか?

環境問題について考えるのが億劫で、今の自分の生活を変えたくないのでしょうか?

批判する人々の真意のほどはわかりませんが、
現代に生きている以上、原始人のような生活をしろというのは現実的ではありませんよね。

人にも自分にも、完璧を求めるのではなく、できるところから少しずつというのが、
無理なく長く続けるコツなのではないかと思います。

日々勉強

SDGsウォッシュ

SDGs、サステナブルという言葉がずいぶん浸透してきて、
雑誌やテレビなどでも頻繁に目にするようになりました。

大企業を中心に、各企業が様々な取り組みを行い、それを発表しています。

持続可能な社会を目指して取り組みを行うことは素晴らしいことなのですが、
「SDGsはいいこと」という人々のぼんやりしたイメージを利用して、
例えば本当は環境破壊や労働力搾取を行っているにもかかわらずそれを隠していい言葉だけ並べ、
自社のイメージアップ戦略の手段にするということも行われているようです。

こうした行動は、「SDGsウォッシュ」と呼ばれています。

これは「グリーンウォッシュ」から来た言葉で、
グリーンウォッシュとは例えば
製品のパッケージを緑色にしたり環境によさそうな雰囲気にしておいて、
実際は全く環境に配慮されていないものだった、など、
実態を伴わない、うわべだけの「環境によさそうなイメージ」でその製品を売ろうとすることです。

買い物は投票だ、という言葉がありますが、サステナブルな世界のためにいいものを選ぼうと思って他より少々高いものを選んだのに、
実はその商品が見せかけだけで実質と違ったり、別の問題を引き起こすものだとしたら?

せっかくの善意の選択なのに不本意ですよね。
企業のPRをすべて信じ込むのではなく、自分でも調べて知識をつけることが大切だと思います。

ベストが無理でもベターな選択ができるように

意図的なSDGsウォッシュではなくても、世の中の問題は複雑で、
これがよくないならあれに変えればすべて解決!とはいきません。
あちらを立てればこちらが立たず…

そう考えると、ベストな選択を見つけるのは非常に難しいのかもしれません。

例えば、クリーンエナジーとして太陽光発電所が増えてきていますが、設備を作る際のエネルギーや輸送時のエネルギーは?山を切り崩して建設している?など、気になる点はあります。

身近な買い物一つとっても、
「この商品はオーガニックだけど、パッケージがプラスチックだし、輸送の際のCO2は…?」

「この食品はパッケージフリーだけど、その分すぐに痛んで、食品ロスに…?」
など、考え出すと様々な側面があります。

そんな時、ベストな選択肢がなかったとしても、自分の頭で考えて、
自分が思う現時点での最もいい選択(ベターな選択)
をしたいですよね。

そのためには、普段から様々な観点があることを意識して、情報を集めて勉強することが大切だと感じます。

私もまだまだですが、知識を増やしてベターな選択ができるようにしていきたいと思います。

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