2月のまだ寒い日、夫の母方の祖母が亡くなり、韓国でのお葬式に初めて参列しました。
わからないことばかりで失礼がないか不安な気持ちがありましたので、今後誰かのお役に立てればと思い、
・服装
・(日韓夫婦の場合、日本の両親からの)香典
・お葬式の流れ
・日本と違うなと感じたこと
を振り返ってご紹介します。
地域や宗教等により異なる部分がある点はご了承くださいね。
服装
私は、
- 上下黒スーツ(スカート)
- タートルネックの薄手のニット(オフホワイト)
- 厚手のリブタイツ(黒)
- パンプス(黒)
で参列しました。
故人と関係が近い人(子、子の配偶者、内孫)は、男性は黒のスーツで、女性は黒の韓服を着ます。
これらは日本のように各自で用意しておくというものではなく、式場で喪服を借りるのが一般的のようです。
総じて日本よりは服装のマナーについては厳しくないので、黒ではない地味目の服装の方もちらほらいらっしゃいました。
日本の両親からの香典
訃報を聞き、日本にいる私の両親にも連絡を入れました。
お葬式に参列することはできないため、「香典を代わりに渡しておいてね」と言われました。
ここで困ったのはいくら包めばいいのか?ということです。
ネットで調べても、「韓国人夫の母方の祖母への日本の両親からの香典の相場」など見つかりませんでした。
夫に相談しても、「いらないんじゃない?」「金額?わかんない、両親に聞いてみようか…?」と参考にならず。
とりあえず、ドンピシャの相場は見つからなかったものの他の関係性での相場から10万ウォン(約1万円)ぐらいかな?と予想し、後程ご両親に聞いてみることにして念のため現金20万ウォン(約2万円)と封筒を用意。
結果、20万ウォン入れたらいいのでは?ということになり、20万ウォンを包んでお渡ししました。
ちなみに私たち夫婦からは香典は出しませんでした。義両親からも、「孫だからいらないよ」と言われました。
もちろんご家庭や関係性等によって変わるとは思うのですが、一つの参考になれば幸いです。
香典袋の用意
香典は、韓国語では부의금(プウィグム)と言います。
コンビニにも封筒は売っていますが、式場の受付のところにも封筒が用意されています。
私は、慣れない式場であたふたしたくなかったので事前にコンビニで購入しました。
封筒の裏面に、名前を記入します。
式場によって、受付で記名して香典を渡すところもあれば、受付も記名も特になく、香典入れの箱?に封筒を入れるところもあるようです。
今回の会場は、会場入り口(受付用の場所でしたが特に機能していない)と祭壇の横にそれぞれ設置されていました。
流れ
お葬式は全体で3日間行われます。
韓国では病院付属で地下や別の棟にお葬式場があることも多いのですが、今回の式は専門のお葬式場で、1階と2階で1グループずつ行えるようになっていました。
1日目
遠方の会場だったため、私たちは午後に式場に到着。そのため1日目の最初からの流れはわからないのですが、故人に新しい服を着せて白い布をかけるなどの儀式があるようです。
会場は、入口で靴を脱いで入り、祭壇があるスペースと食事のためのテーブルがある広いスペースに分かれています。
まずは到着したら、祭壇のある所に伺ってご挨拶をします。
遺影に向かってクンジョル(큰절、膝をつく深いお辞儀)を2回、立った状態でお辞儀を1回し、その後ご遺族にクンジョルを1回します。
その後は、食事をいただき、テーブルがあるスペースで待機。
参列される方がいらっしゃったら、食事をふるまいます。(食事は式場で準備されます)ユッケジャンが有名ですが、今回の式場はシレギクッも選択できたようで、私たちはシレギクッでした。
・故人がかなり高齢だったこと(友人などがもう少ないもしくは来られない)
・田舎の葬儀場で行われたが、故人の子孫が遠方に住んでいたこと(子孫の関係者にとっても遠方で来づらい)
上記に加えてコロナの影響があり、参列される方は3日通してかなり少なかったです。
2日目
朝の儀式が7時半ごろにありました。故人に供える食事が用意され、葬儀場の担当者の号令に合わせてクンジョルを行います。
儀式が終わると、自分たちの食事を準備して食事をします。メニューは、3日間ずっと同じです。
ひたすら待機し、参列者がいらっしゃったらご挨拶、食事の準備、片付けを行います。
夕方、入棺室という別室で入棺(입관)の儀式がありました。
韓国のお葬式では祭壇に故人はおらず、遺影が飾られています。そのため、参列者はおろか親族も、故人のお顔をみる機会がほぼなく、この入棺の時が最後の機会となります。
私は外孫の嫁という立場で、夫が「メンタルがやられそうだから入棺式には行かない」と行かなかったため、おばあさんのお顔を最後に見たかったのですが見られませんでした。
他にも、「つらいから」と入棺の儀式に出なかった方もいらっしゃいました(孫にあたる方)
入棺の儀式後、男性は腕に腕章、女性は白いリボンを髪につけました。
ちなみに、入棺の儀式の間は親族のほとんどが入棺式に行くため、会場の入り口に「入棺中」という案内が立てられ、そのタイミングで来た参列者はしばらくテーブルのスペース等で待機することになると思います。
夜の儀式が朝と同じような流れで6時か7時ごろに行われ、その後夕食を取り、また待機になります。
3日目
2日目と同じ朝の儀式が7時ごろに行われ、朝食を取ります。
最終日なので、残っている食事や備品等の整理、片付けを始めます。
用意されている食事、飲み物、紙皿や箸類など、個別に精算できるものと箱単位で精算するものがあり、残量を確認するなどの作業で忙しくなります。
会場をすべて片付け終わり、11時頃、出棺の儀式が始まりました。
式場の方が何か文言を唱え、親族が順にクンジョルを行います。
この順番というのも決まっていて、
長男→次男→長男・次男の妻たち→娘たち→娘たちの夫たち→孫(長男の子)→孫(次男の子)→孫(娘たちの子)
こんな感じでした。
クンジョルをする場面はたくさんあり、順番に行うときと、全員で行うときがありました。
その後、お棺を持ち、外にとめてある霊柩車に乗せ、おばあさんの息子、娘たちが霊柩車に、その他の親族は自家用車に乗って式場を後にしました。
故人の家へ
故人が住んでいた村の公民館のようなところに車を止め、遺影を持って小さい村を一周。途中、故人の家に入り、家を一周。最後に、住んでいた村と家に帰らせてあげるというような意味があるのかなと思います。
ここでも、外孫数人は家の中には入らず庭で待機しており、私の夫も入らなかったため、中でどんな様子だったのかはわかりませんでした。
その後公民館の駐車場に戻り、簡易的に祭壇を用意して順番にクンジョルを行った後、お墓に向けて出発しました。
住んでいた村、家を回るのは昔の習慣のようで、今は行わない人も多いようです。
お墓に埋葬(土葬)
韓国でも集合墓地や共同墓地のようなところが増えているようですが、田舎では山の一角に丸く土を盛った昔ながらのお墓が多いです。
おばあさんのお墓も、山の一角のおじいさんのお墓の隣に作られました。
到着すると、小型の重機が入っていて作業が行われていました。
韓国は伝統的には土葬が主流なのですが、最近は火葬も増えてきているようです。
今回は土葬で、棺を穴に納めたのち、何かお祈りの言葉が書いてある布を棺にかけ、親族が順番に土をかけていきました。
全員が1回ずつ土をかけ終わったら、お墓を作る業者の方が残りの土をかけ、お墓の形を作っていきます。
完成したら、親族がお墓の周りを回りながら、封筒に入れたお金をお墓のてっぺんのところに置いていきます。故人が、あの世で良いところに行けますようにという願いを込めてということのようだったのですが、最後に業者がかき集めて持って行きました。
業者にはきちんとお金を払っているはずなのですが、業者にとってはチップ的な扱いになっているようです。なんだか納得がいかない出来事でした。
その後約1時間ぐらい、お墓の周りの整備(日当たりがいいように木を切ったり、墓石を設置したり)が行われ、業者さんに弁当をお渡しして食べてもらいました。
本来、その場でみんなで食事をするようなのですが、場所が狭いこと、寒いこともあり、業者さんにのみ弁当をお渡しして、親族はおばあさんの家に戻って弁当を食べました。
これで、3日間のお葬式の全日程が終了しました。
日本との違い
普段の生活ではさほど感じることがなくなってきましたが、やはり冠婚葬祭などの伝統が残る行事は日本との違いを感じました。
式の長さ
まずは式の長さです。3日間、しかも時間を区切らずずっとです。誰かが起きていなければならないので、ずっと式場に待機し、夜も交代で起きなければいけません。
遺影の前のお線香(確か3本立っていたと思います)をずっと絶やしてはいけないらしく、しかもそれが15~20分ぐらいでなくなるので、昼夜問わず誰かがつきっきりになっているのも大変そうでした。
参列客が多い場合は食事の用意と片付けも忙しいです。
小さな休憩室と布団はあるものの、床に薄い布団でたくさんの親戚がいますので、体もなかなか休まらず大変です。
日本は2日で、故人と近い親族は泊まったりしますが、お通夜の時間、お葬式の時間が決まっていますし、参列客への食事のふるまいもないため、韓国に比べると負担は少ないと思います。
感情のメリハリ
日本の場合、お通夜、お葬式の時間が決まっていることもあるためか、お葬式と言えば終始悲しくしめやかな雰囲気で行われるイメージが強いですが、
韓国は儀式の時以外は賑やかな雰囲気です。食事をしながらお酒も飲み、久しぶりに会った人たちといろいろな話をしながらわいわいしていました。
入棺や出棺、故人の家に行ったとき、そして最後にいよいよ土に埋葬する、という時には、やはり悲しみがこみ上げてきて、特に女性陣は声をあげて泣いている人が多かったです。
3日間という長い時間ですが、このように感情のメリハリをつけ、悲しい時には思い切り泣くことで、悲しみを消化していけるのかもしれないな、と感じました。(男性陣は我慢していたのかほとんど泣いていらっしゃらなかったですが…)
さいごに
結婚して韓国に来てから、おばあさんには年に3~4回お会いしていました。
ご高齢で耳が遠く、視力もかなり弱っていたようですが、行くといつも私を認識してくださり、
「国を超えて遠いところまでよく来てくれたね、예쁘다(イェップダ)」と言ってくださったり、
「あれ食べて、これ食べて」(これはおばあちゃんあるある?笑)とかわいがってくださいました。
ちなみに예쁘다(イェップダ)というのは、「綺麗だ、かわいい」という意味ですが、おばあさんが言っていた意味としては外見のことではなく、「自分の国を捨ててまで来てくれたその気持ちが嬉しくて愛しく感じる」というニュアンスです。
(もちろん私は国を捨てたつもりは毛頭なく、気軽に行き来する感覚なのですが、ご高齢のおばあさんはそう感じていらっしゃったようです。)
会いに行くたびに温かく迎えてくださり、外国人、特に日本人の嫁の立場として、とても嬉しく、ありがたかったです。おばあさん、安らかにお眠りください。
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